ゲーム・オブ・スローンズ 最終回の感想

ゲーム・オブ・スローンズ S8ゲーム・オブ・スローンズ
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これほどメガヒットした海外ドラマで、その人気の絶頂に最終回を迎えたものは、自分が知る限りこのゲーム・オブ・スローンズとブレイキング・バッドしか無い。

ブレイキング・バッドは最後の最後までスリリングで、最終回は自分の期待した終わり方ではなかったけど、内容は間違いなく期待に応えてくれた。

ブレイキング・バッドの最終回を見終わったときには、寂しさや現実の厳しさからほろ苦い感情がほとんどだったが、「これで一つのストーリーが終わった」というすごく重い物を感じられた。これぞ最終回!という決定力とも言えるものだ。

正直に書くが、今回のゲーム・オブ・スローンズの最終回にはブレイキング・バッドの最終回にあった、「一つのストーリーが終わる」という歴史的海外ドラマの重さは全く感じられなかった。なんというか、一定数の視聴者が納得しそうな結末をラストから逆算して作った感じ。説明は難しいが、このブログでよく書いている、「シーズン1で人気になった海外ドラマがシーズン2で失敗するパターン」によく似ている。

最初にストレートな感想を書いておくと、

面白くなかった

この最終回、残念ながら感想はこれに尽きる。

何を伝えたかったのか?

このゲーム・オブ・スローンズの製作者が、視聴者に対し一体何を伝えたかったのか?

どうしてもこれがはっきりしない。*これは批判ではなく、何が言いたかったのか?が分からないという話。

シーズン7までは、戦乱の世の人間の残酷さを描き、でも人間は団結も共存もできる、そんなメッセージがあったと思う。

といっても、ゲーム・オブ・スローンズはタイトルから言っても、7つの王国を誰が支配するか?がメインテーマのドラマだ。なので、「人それぞれの正義」、または「それぞれの家族の正義」がメインテーマにあり、その根幹は善悪ではなく「人類(家族)の存続」だったと思う。

ゲーム・オブ・スローンズの結末は、専制君主の支配から、民主的な支配への移行という形だった。ところがそういう結末で終わったのに、劇中ではそれとは正反対の演出が多々あった。これはどう取ればいいのだろう?

例えば、デナーリスの死後、各国の代表が集った評議会?で、サムがこう言う。

一部の貴族だけで代表を決めるのではなく民衆全員で決めるべきだ。

すると各国の代表はもちろん、サンサやアリアやティリオンまでもが、サムをバカにしたように笑う。

これは前回のティリオンとジェイミーの会話にも同様のものがあった。ティリオンが、「城下に暮らす人それぞれに生活がある」と言うと、ジェイミーは「民衆のことなど気にしたこともない」と返す。

ゲーム・オブ・スローンズでは、それがスタークであろうがターガリエンであろうが、ラニスターであろうが、このジェイミーの考え方と共通している。これら地域を支配する家族は、誰もが民衆のことなど程度の差こそあれほとんど気にしてはいない。そこに現代人が考える正義はない。

矛盾した演出

この系統の演出は、最終章に入ってからよくあった。 正義と描かれた北部人が、有色人種で構成されたデナーリスの軍をあからさまに敵視する。ジョンの命令でも、ただ見た目が違う、よそ者、というだけで簡単には受け入れない。

それは共通の敵、ホワイトウォーカーを倒した後にさらに加速する。特にサンサを始めとするスターク家は、「信用できない(知らないから)」という非論理的な理由でデナーリスを拒絶する。

これは何を意味しているのだろう? 単に製作者が差別主義者だったので普通に描いたらこうなった、なんてことは無いだろう(笑)

たぶん、そこには「人それぞれの正義」、「家族の正義」を描く意図があったと思う。現代の法律からすると外れているが、これはフィクションだし、究極の選択になったときにそう考えるのは普通のことだと。

そういえば、前回のこんなのもある。

最終的には、城下無差別攻撃の件で、デナーリスからティリオンやジョンが離れていく結果になったが、ここにも矛盾した演出があった。

デナーリスがドラゴンの炎で街を焼き尽くしているときにワイルドファイアの炎(緑色の炎)が城下のあちこちから上がっているシーンがあった。実はこれ、結果的に不発に終わったが、デナーリスの軍を皆殺しにするサーセイの最後の切り札だった。

サーセイの戦術は、もし無血を含む開城を余儀なくされた場合、城下町の家などに仕込んだワイルドファイアでデナーリスの軍を焼き殺すというものだ。もちろんサーセイはデナーリスが無差別攻撃に出るとは考えていなかったので、最後のあの狼狽シーンにつながる。反対にデナーリスは、ただの虐殺ではないとティリオンに指摘していた。

あのときにデナーリスが攻撃したことでラニスターに与した市民は焼き殺されたが、もしデナーリスがサーセイの降伏(鐘の音)を信じて進軍させていたら、アンサリードやドラスクはもちろん、ジョンやダヴォス、ティリオンも市民もろともワイルドファイアで焼き殺されていたというものだ。なので死者数の差はあれど、どちらにしても大量の死人が出ていたことになる。

この最終回のメインテーマが善悪の戦いなら、なぜこんな隠し演出を何度もしていたのか? ま、これはメインテーマが善悪の戦いではなく、人それぞれの正義だったいうことだと思うが、それとも何か別の意味があるのだろうか??

どこを間違えたのか?

この手法については特に文句はない。だが不幸にもこの脚本が不発だったのは、単純にドラマの一話として面白くなかったということがあると思う。思うに面白くない理由は、結末を急ぎすぎたからだろう。

暴走気味のデナーリスをジョンが止めるという一幕が必要だったとしても、なんといってもそこまでの経緯がまるで描かれていない。

ジョンがデナーリスを殺すところも、あまりにもいきなり過ぎる。ついでにいうと、そのジョンやティリオンを、アンサリードやドラスク人が処刑しない理由も変だ。あれだけ熱狂的に支持されたデナーリスはどこへ行ってしまったのか?

他にもこういう事は数多い。これを脚本家がダメだという人が多いそうだが、ここまでのゲーム・オブ・スローンズを見れば、脚本家が有能か?なんて言うまでもないことだ。

そう考えると

「時間が足りなすぎた」

これが最終章が面白くなかった全ての理由だと思う。6話ってのは、いくらなんでも少なすぎだ。どんな有能な人間でも、この話数でこれだけのストーリーを伝えるのはかなり難しいだろう。

面白くなかったのは残念だが・・

個人的には、最終章(正確には残り2話)で評価がガタ落ちしてしまったが、それでもゲーム・オブ・スローンズは史上最高の海外ドラマだと思っている。

この最終回単独の感想は「面白くない」でいいが、シリーズ通してだと史上最高。だからこの結末には余計にガッカリしている。今はおそらく世界中で同じような感想を持つ人が沸いているだろう。

なぜこの最終回が面白くなかったのか? そしてなぜこれだけの人気作を終わらせたのか?について。

これは全て「予算」だと思う。特にゲーム・オブ・スローンズはHBO(ケーブル局)の制作だから、予算の上限については厳しい制約があるだろう。

海外ドラマ(米)の場合、最初の頃は予算が足りなくなることは少ない。なぜなら人件費が抑えられるからだ。*この場合の人件費は俳優のギャラ。

ゲーム・オブ・スローンズの場合は、スタート当時は無名の役者がほとんどなので余裕だっただろう。ところが想像を超える人気から、出演者のギャラはシーズンごとに高騰を続け、今ではこれだけの人気なのに採算が取れなくなってしまう・・しかもこのドラマは登場人物多いし、人気キャラも多いから。

デナーリスがいきなり狂信者化したように見えたのも、ティリオンにちょっとそそのかされただけでジョンが女王殺しになったように見えたのも、短縮された時間に問題があるだろう。ただし、ズバ抜けて優秀なクリエイターなら、その期間で可能なことだけをやるような気もする。

面白くなかった理由はそんなところだろうと思う。それでも、あの連発した矛盾する演出だけは引っかかる。

主な登場人物(貴族・有力家系)は、一般市民のことなど気にしていないのに、その貴族の代表であるティリオン、ヴァリス、スターク家に正義を語らせる。

見た目で信用できない、父親が悪だから信用できない、過去に支配されていたから賛同できない、そういう理由で良き主君を敵視し、しまいには殺してまう、または殺そうとする。*しかも利用するだけ利用して。

最後は家族だけを信用するという考えなのに、権力の相続は否定する。*これは半身不随のブランだからそういったのかも?

いずれにしても、どうしてわざわざ矛盾する演出を多用したのか? この結末では、その意味をはかることは出来ないと思う、

なぜ貴族目線にしたのか?

それと分かる演出があったように、今回の政治的会談で、スタークスもティリオンも目線は貴族だった。 反対に虐殺したデナーリスは最後まで市民目線だった。

【 目線の意味 】 民衆を殺してはいけないとティリオンやヴァリスは力説したが、彼らは自国の領土の民が飢えていても好きなだけ肉を食いワインを飲んでいた。だがデナーリスはカール・ドロゴの死後当分の間、数十人の連れと共に、飢えや貧しさを共有した。その後も、デナーリスについてはそういう演出があったが、なぜ最終章に来て、突然スタークやラニスターが貴族目線で語り始めた理由が分からない。皮肉なのか? それとも、スタークやティリオン達は、パンがないならケーキを食べればいい・・的な脳内だったという事なのだろうか?*これは皮肉じゃない だがもしそうなら、この最終回の後の世界では、民衆の革命が起こり、真の民主主義が生まれていく・・とか連想してくれ!という事なのか ??

これを前提に、最後にもう一度矛盾演出について書いておきたい。

最終回でティリオンがジョンに言ったことに、サーセイやタイウィンは多くを殺したが、デナーリスは数的にもっとひどい、というのがあった。結局ティリオンは、残虐なデナーリスと、そこそこまともだったラニスター家という見識だったという演出。

ジョンは自分が正しかったのか?間違っていたのでは?と悩んでいたが、ティリオンもスターク家も、誰もがジョンが正しいと盲目的にいう。

だが歴史的には、ジョンはクイーンスレイヤーの裏切り者として語り継がれる事になる。正面からだが、女性を不意討ちで刺し殺した男としての汚名は確実に残る。どういう経緯があろうが、それはジェイミーと同じだ。

これらを総合すると、貴族の自分や家族に危害が加わる可能性がある場合は否定。そうでなければ肯定、こんな感じになると思う。*少なくとも多くの視聴者はそう感じるはず

目線は貴族なんだけど、これを言いたかったでいいのかな? 結局は自分本位、家族本位ということ? それとも真剣に「真の民主主義の誕生」を連想しろと??

スターク家もティリオンも、あの集会に居た人間は皆、特権階級の人々。今で言う上級市民の頂点だ。その目線で最後はしめくくられたが、その影で悪とされたのは、父親が戦争に負け追放された子供時代を持ち、売られた経験もあるデナーリス。

この演出で伝えたかったことが本当に分からない。

もう一つ演出を書くと、海を渡る前からデナーリスの軍と市民は、豊かとまではいかなくても物資は足りていた。だがスタークが統治する北部や、サーセイ統治下のキングスランディング(正確にはロバート時代から)では領民は飢え、一揆まで起こっていたという演出が過去に何度かあった。

やはり、なぜこういう構図を作ったのか?どうしてもここだけが引っかかる。ただの「人それぞれの正義」そういう意味だったのだろうか? それとも最終的にスタークらが生き残ったが、正義は一つではない、とか?またはマジで民主主義??

追記

この最終回の感想を「つまらなかった」と断言したが、これは一つの海外ドラマの一話として面白くなかったと言う意味で、その辺の事をまとめるとこんな感じだ。

  • 最終回はつまらなかった
  • 矛盾した演出の意図を明確にして欲しかった
  • 今はソフトランディングにした意味がなんとなく理解できる
  • 重みは感じられなかったが、この物語が終わった事は受け入れている

2番目だけは、何かの機会に語ってほしい。

また、脚本を変更して撮り直しという意見が凄い数になっているそうだが、個人的にはその意見にはまるで同意できない。結果がどうあれ、これがゲーム・オブ・スローンズ、それは受け入れる以外の道はない。

最終回が面白くなかったことと、意味がわからなかった演出だけは心残りだが、自分の中ではゲーム・オブ・スローンズは完全に完結した。

またこのゲーム・オブ・スローンズに出演したことで一躍トップ俳優となった、エミリア・クラークとキット・ハリントンには末永く活躍してほしいと思う。

とにかく史上最高の海外ドラマは終わった。いつの日か、このゲーム・オブ・スローンズを超える海外ドラマが登場することに期待しよう。

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